こんにちは、エイコです。
今回は、肺がんのお話しです。
私の父は、約5年前、81才の時に肺がんで亡くなりました。進行が早い肺がんだったため、闘病生活は約5ケ月程でした。
原因は、約50年間の喫煙でした。
日本では今でも死因の第1位は「がん(悪性新生物)」となっています。性別で見ると、
- 男性1位「肺がん」
男性2位「胃がん」 - 女性1位「大腸がん」
女性2位「肺がん」
(2018年度のデータ)
国立がん研究センター
がん情報サービスのホームページよりhttps://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/summary.html
となっており、肺がんが死因の1位となっています。
今回、父の話をしたいと思った理由は、呼吸器疾患や肺疾患の方が、コロナへ感染した場合に重症化しやすいからです。
今後少しでもコロナで体調を崩す方が一人でも少なくなるようにと思う気持ちで書きました。
父のタバコ歴
父は、典型的な昭和のサラリーマンでした。教科書の編集者でしたので、仕事中は勿論のこと、大学時代から喫煙をしていました。
途中で腎臓ガンを発症したため、70才でタバコをやめました。
しかし、20代から70代までの約50年間、一日一箱と考えると、喫煙した量は、相当量となりますね。
父の日常生活
父は、肥満型でしたが、お酒はあまり好まず、母親の手料理を食べて規則正しい生活を送っていました。
定年後は、趣味の英語や写真やパソコン講座で沢山の友人と楽しく過ごしていましたが、運動不足だったようです。
人間ドックは受けず、市から案内された検診のみを受診していました。実はこれが一番後悔してしまった事です。
肺がんが見つかるまで
肺がんが見つかった時は「ステージ4」という一番症状が重い状態でした。それでも呼吸が苦しいこと一切ありませんでした。
肺がんが見つかるまでの経緯ですが、
- 肩に痛みが出てくる。
近くの病院で診察を受け、薬を処方してもらう。 - 胃の調子が悪くなり、食が細くなる
肉類を好んでいた父は、急にさっぱりしたうどんなどを食べるようになる。 - 声がだんだん出なくなる
喉や肺の痛みは一切なく、声だけがうまく出せなくなる。 - 総合病院へ行き、検査入院をする
肺がんと診断され、そのまま入院して治療が始まる。
このように、胃や声の調子が少し悪い程度だったので、肺がんと診断された時は、かなりの衝撃を受けました。
肺がんの種類
皆さん、肺がんに種類があることをご存知でしょうか。
父が宣告された病名は、
「小細胞肺がん」でした。
肺がんには大きく「小細胞肺がん」と「非小細胞肺がん」の2つがあります。
「小細胞肺がん」は、進行が速いため、早期発見が難しく、発見した時には腫瘍やリンパ節転移が大きくなっていることが多く、根治することが難しいのが特徴です。
そしてこの肺がんになる原因は、ほぼ喫煙ということがわかっています。
小細胞肺がんの詳細↓
https://oncolo.jp/cancer/small_cell_lung_cancer-about
肺がんの治療
ステージ4でしたので、手術は難しく、抗がん剤を投与する治療となりました。
完治する可能性は低く、抗がん剤治療は、がんの進行を遅らせるためのものに過ぎませんでした。
1クールを行なったのですが、気持ち悪くなったり、味覚に異常があったりと父にとっては非常に辛い事でした。
本人の希望で抗がん剤治療は中止し、病院を退院して、緩和ケアへ切り替えをしました。
緩和ケアを受ける
父が自宅での治療を望まなかったため、私の家の近くの老人ホームで緩和治療を始めました。
肺がんに限らず、がんが進行して転移すると体のあちこちに痛みが生じてきます。
段々と痛みが強くなるのですが、痛みを緩和できるように、都度薬を変えていくので、本人は快適に過ごせることができます。
父が最後まで有意義に過ごせるようにするにはとても大切なケアでした。
最後の1ケ月は、この緩和ケアのおかげでゆっくりと父との時間を過ごすことができました。
早期に肺がんを見つけるには
私が一番後悔したことがあります。それは、きちんとした人間ドックや検査を受けるよう、父に勧めなかったことです。
父は、必ず1年に一度の市の検診を受診しており、何も問題はありませんでした。
しかし、市の検診では肺はレントゲンのみの診断でしたので、肺がんを見つけるのは困難だったようです。
そこで皆さんにお伝えしたいことは、
肺がん検診を毎年受診し、低線量胸部CT検査まで受けるようにしてください。
肺がん検査 参考ページ↓
https://www.yobouigaku-tokyo.or.jp/gan/haigan.html
最後に、私の父の肺がんの症状が、後に皆さんの参考資料になれば幸いに思います。